大学入学共通テスト日本史B過去問 令和4年度追・再試験(解説なし)
オプション
問題文正答率:50.00%
第1問
次の文章A・Bは,「日本社会における戦士の歴史」をテーマに自由研究を進めていた高校生のかずこさんとたけしさんとの会話である。この文章を読み,後の問い(問1~6)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 18)
A- たけし
- 原始社会の狩猟民も戦士と言って良いなら,図の石器は,戦士の武器と言えるかな。
- かずこ
- 精巧な作りだね。教科書で石槍の先とされているものと同じ形だけど,ずいぶん大きい。ⓐ図の石器をめぐっては,いろいろ論争があるらしい。旧石器時代なのか縄文時代なのかという時代観をめぐる論争や,生活で使われた実用品か象徴的な儀礼品かという論争もあるそうだよ。
- たけし
- 研究の進展によって,教科書の記述も変わることがあるみたい。姉さんの教科書とは,原始の箇所は,年代などの記述が変わっていて驚いたよ。
- かずこ
- 弥生時代には,人間を殺傷する武器や,防御機能を持ったアが出現しているから,戦いが始まり,戦士が誕生したと言えるよね。
- たけし
- 中世以後に台頭する武士は戦士だと思うけど,ⓑ武器を持つからといって必ずしも戦士と言うわけではないよね。
- かずこ
- 豊臣秀吉は有名な法令で,「諸国百姓」から武器を没収する理由として,京都の方広寺に大仏を造立するとか言っているけど,百姓は農民を中心とするしね。
- たけし
- 方広寺と言えば,徳川氏にも目をつけられて,同寺のイが問題にされるんだけど,これも建前だと言われがちだよ。
- かずこ
- 大仏造立という名目で,百姓から刀を取り上げたけど,江戸時代の農民は鳥獣駆除のために鉄砲は持っていたらしいね。
図 神子柴遺跡出土の石器
「画像省略」
問1 空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを.次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 下線部ⓐに関して.次の文X•Yのような論争がある。考古学で用いられる方法について述べた後の文a~dのうち.X•Yを考えるために有効と考えられるものの組合せとして最も適当なものを.後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 遺跡の性格について,墳墓説,住居説,石器の集積所説などがある。
- Y 石器の性格について,実用品なのか,儀礼品なのか議論がある。
- この石器の材質を分析して産出地を確定する。
- この石器と一緒に出土した遺物を検討する。
- この石器の科学的な年代測定を実施する。
- この石器の形状や使用の痕跡を調査する。
問3 下線部ⓑに関連して,次の史料1は,天台座主であった良源が,970年に作成した「二十六箇条起請」(誓約)の一部である。史料1と当時の社会に関して述べた後の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料1
一 応に兵仗(注1)を持て僧房に出入りし山上を往来せる者を尋ね捕らえて,公家(注2)に進らすべき事
右,兵器はこれ在俗武士の持つところにして,経巻はこれ出家行人の翫ぶところなり(注3)。(中略)しかるに聞くならく,ある僧等,党を結びて群を成し,恩を忘れて怨に報い,懐中に刀剣を挿し著して,恣に僧房に出入りし,身上に弓箭を帯持して,猥に戒地(注4)を往還す。(中略)暴悪の身に遍きこと,なお酔象(注5)に同じ。
(「廬山寺文書」)
- (注1)兵仗:兵器。武器。
- (注2)公家:朝廷。
- (注3)経巻はこれ出家行人の翫ぶところなり:仏教の経典は,出家修行者が取り扱うものである。
- (注4)戒地:戒律を守るべき聖域。延暦寺を指す。
- (注5)酔象:酒に酔った象。悪事のたとえ。
- X 史料1によれば,良源は,武器を携行して僧房に出入りし,比叡山を往来する者は捕らえるとしている。
- Y 当時の比叡山の僧兵たちは,朝廷に対抗するために,神輿をおしたてて強訴を繰り返していた。
- かずこ
- ところで,その後に続く江戸時代は泰平の時代と言われて,戦うことを本業とする武士って,本当は社会に必要とされていなかったんじゃない?
- たけし
- そのことは江戸時代の武士たちも意識していたようだよ。先生から教えてもらったんだけど,岡山藩主の池田光政は,家臣である岡山藩士の武士たちにむけて,「私のような大名は,人民を将軍様からお預かりしているのだから,おまえたちは主君である私を補佐して,人民が安心して暮らせるようにすべきなのだ」と説いたんだって。
- かずこ
- なるほど。江戸時代の武士は単に戦う「兵」ではなくて,中国や朝鮮の「士大夫」と同じように,ⓒある程度は学問を身につけて政治のことを考える「士」にならないといけないってことだね。
- たけし
- そうそう,「士」と「兵」との違いって意外に大事だよ。ⓓ明治になると,武士という存在は不要とされていくよね。ただ近世でも近代でも,軍隊の末端には,実態として多くは農民が動員されていたわけで,「兵と農」よりも「士と兵」との違いがどう生み出されたかが大事だという指摘もあるよ。
- かずこ
- 陸軍や海軍の士官というのはエリートで,兵卒とは区別されていたようだから,「士」の「兵」に対する優越感は,近代になっても簡単には解消されなかったみたいだね。
問4 下線部ⓒに関連して,17世紀後半の藩主が学問を奨励した事績について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問5 下線部ⓓに関連して,武士身分を廃止した影響について述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 農民も政府によって動員され,戦死する可能性を高めた。
- Y 不平士族の不満が解消されることも期待して主張された。
- 殖産興業
- 四民平等
- 脱亜論
- 征韓論
問6 かずこさんとたけしさんは,「日本社会における戦士の歴史」について考えてきて,近代初めにそれをまとめた文書「徴兵告諭」(史料2)があることを知った。史料2の内容と徴兵に関して述べた後の文a~dについて,最も適当なものの組合せを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料2
我朝上古の制,海内(注1)挙て兵ならざるはなし。有事の日,天子之が元帥となり,丁壮(注2)兵役に堪うる者を募り,以て不服を征す。役を解き家に帰れば,農たり工たり又商賈(注3)たり。(中略)保元・平治以後,朝綱頽弛(注4)し,兵権終に武門の手に墜ち,国は封建の勢を為し,人は兵農の別を為す。(中略)然るに太政維新,列藩版図を奉還し,辛未の歳(注5)に及び遠く郡県の古に復す(注6)。世襲坐食(注7)の士は其禄を減じ,刀剣を脱するを許し,四民漸く自由の権を得せしめんとす。是れ上下を平均し,人権を斉一にする道にして,則ち兵農を合一にする基なり。
(「徴兵告諭」)
- (注1)海内:国内。
- (注2)丁壮:壮年の男子。
- (注3)商賈:商人。
- (注4)朝綱頽弛:朝廷の規律が崩れたこと。
- (注5)辛未の歳:1871年。
- (注6)郡県の古に復す:廃藩置県のこと。
- (注7)坐食:働かずに食うこと。
- 史料2によれば,徴兵の理想は,保元・平治の乱以前のように,天皇が兵権を握った兵農合一の社会であった。
- 史料2によれば,徴兵の理想は,保元・平治の乱以後のように,武門が軍事を担った兵農分離の社会であった。
- 徴兵への反発から血税一揆が起こった。
- 徴兵令では,18歳に達した男子に兵役の義務が課された。
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問題文正答率:50.00%
第2問
リョウタさんとリツコさんは,歴史の授業で,古代には様々な雑穀が栽培され,食べられていたことを知った。そこで,粟と麦についてそれぞれ調べ,授業で発表することにした。二人の発表要旨A・Bを読み,後の問い(問1~5)に答えよ。(資料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 16)
A リョウタさんの発表要旨
日本の主要な穀物栽培と言えば,稲作を思い浮かべる人が多い。確かに,日本のことを「瑞穂(水穂)国」とも呼ぶように,水田稲作が重要な位置を占めていた。
しかし実際には,稲以外にも,様々なⓐ穀物が栽培されていた。特に,粟は縄文時代には一部で栽培が始まっていたという説もある。粟は古代の人々にとって身近な作物だったようで,蒸したり粥にしたりして食べられていた。
粟はやせた土地でも育つのに対し,稲は旱ばつや風水害・虫害などの影響を受けやすく,秋に不作になると食糧不足や飢饉に結びついた。それもあって,ⓑ古代国家は飢饉に備えて,粟を貯えさせた。また,国司を通じて百姓に粟の栽培を奨励し,稲の代わりに粟を税として出すことを許可する法令を出した。
問1 下線部ⓐに関連して,原始・古代の穀物栽培に関して述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 下線部ⓑに関連して,リョウタさんの発表に対して,他の生徒から質問X・Yが出た。リョウタさんは先生にアドバイスをもらいながら,史料a~dを探してきた。質問X・Yに対する回答の根拠となる史料の組合せとして最も適当なものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
質問
- X 飢饉対策として,粟が貯えられた理由はどこにあるのだろうか。
- Y 貯蓄する粟は誰から集めたのだろうか。
史料
- 凡そ雑穀相博えん(注1)には,粟・小豆各二斗を稲三束に当て,大豆一斗を稲一束に当てよ。(『延喜式』)
- 凡そ粟の物とあるは,支うる(注2)こと久しくして敗れず,諸の穀の中に於て,最も是れ精好なり。(『続日本紀』)
- 凡そ一位以下,及び百姓・雑色の人等は,皆戸の粟を取り,以て義倉とせよ。上上の戸(注3)に二石,(中略)下下の戸に一斗。(『養老令』)
- 三の君の夫は,(中略)大名の田堵なり。(中略)薗畠に蒔くところは麦・大豆・大角豆・小豆・粟・黍・薭・蕎麦・胡麻(後略)。(『新猿楽記』)
- (注1)相博えん:交換する。
- (注2)支うる:保存する。
- (注3)上上の戸:資財などをもとに,各戸を上上から下下まで九等に分けたうちの最上位の戸。
B リツコさんの発表要旨
小麦は,飢饉や夏の食糧不足を補うだけではなく,日常の食料や調味料の原材料としての需要もあった。古代国家は,ⓒ諸国の百姓から調・庸として様々な物資を都へ納入させたが,それ以外にも,必要な物資を諸国で調達させて,都へ納入させていた。小麦が諸国から都へ納入されたことは,木簡や『延喜式』から分かる。小麦の加工品には,ヒヤムギのようなものや,縄状の団子を胡麻油で揚げたものなどがあった。
古代国家はⓓ農業政策の一環として麦の栽培を奨励したが,百姓が収穫前に刈り取り,馬の飼料として売却してしまうこともあった。そのため国家は,収穫前の麦を売買することを禁止し,雑穀として食用とすることの利点を国司が百姓に教え諭す法令を出した。こうして国家は,農業に基盤を置いていた百姓の生活を維持することに努めたのである。
問3 下線部ⓒに関連して,次の表1は,『延喜式』で小麦を納入するように指定されていた国の一覧,表2はそれらの国の調として指定されていた全品目の一覧である。表1・2に関して述べた後の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- (注1)ムシロ・コモ:マコモや竹など植物で編んだ敷物。
- (注2)笥:容器の一種。
- (注3)羅:高級織物の品目の一つ。
- (注4)海石榴の油:植物のツバキから採れる油。
- X 調の品目の中には,繊維製品,海産物,銭貨があった。
- Y 畿内諸国では,小麦は調として都へ納入されていた。
問4 下線部ⓓに関連して,古代の農業や土地所有について述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,後の①~⑥のうちから一つ選べ。
- 服属した地方豪族の領域内などに大王の政治的・経済的基盤として直轄地と直轄民が設定され,その田地を田部と呼ばれる部民が耕作した。
- 都の貴族や大寺院は,国司・郡司の協力のもと,地方に所有する荘園を,付近の農民や浮浪・逃亡した農民に耕作させた。
- 有力農民たちは,国司に対抗するために,有力な皇親や貴族の保護を求め,自らが開墾・耕作した土地を荘園として寄進した。
問5 リョウタさんとリツコさんの発表を踏まえ,クラス全員で古代の雑穀栽培についてまとめ,それぞれ意見を発表した。出された次の意見a~dについて,正しいものの組合せを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- 雑穀は飢饉対策として栽培されたので,日常的な食用は禁止された。
- 古代国家は,雑穀栽培について,国司の勧農(農業の奨励)に期待した。
- 古代の百姓は,国家が麦の栽培を奨励した意図を理解し遵守していた
- 古代の百姓は,租を粟で納めることを認められるようになった。
解説・コメント
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第3問
次の文章A・Bは,中世の法制と法慣習について学ぶノリオさんとセイコさんとの会話である。この文章を読んで,後の問い(問1~5)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 16)
A- ノリオ
- 鎌倉幕府が作った御成敗式目は,様々な規定を設けていたけど,全部で51か条だね。意外と少ないんだね。
- セイコ
- そうだね。ただ,御成敗式目は,アが制定した当初の条目だけでなく,ⓐその後多くの追加法が作られたんだ。そういうのを式目追加といって740か条くらいあるみたいだよ。
- ノリオ
- えっ? そんなにあるんだ。そういえば,今の国会でも,社会状況に合わせていろんな新しい法律ができるね。そういう感じなのかな。
- セイコ
- そうかもしれないね。ただ,同様の法が繰り返し出る場合もあるみたい。例えば,史料1は御成敗式目の制定からわりとすぐ出された式目追加だけど,以降も同様の法が何度も出ているんだよ。
- ノリオ
- 中世には,武家法である御成敗式目だけでなく,律令の系譜を引く公家法や,荘園領主が自らの組織や荘園で発動したイと呼ばれる法もあったんだよね。いろんな社会集団が法令を制定して,混乱しなかったのかな?
- セイコ
- それぞれの時期における各社会集団の影響力のあり方や関係によっても,ⓑ法の機能のあり方が変わってくるのかもしれないね。
問1 空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 下線部ⓐに関連して,1240年に出された幕府法の一つである史料1と,飢饉への幕府の対応を記した史料2に関して述べた後の文a~dについて,正しいものの組合せを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料1
飢饉の境節,或いは子孫を沽却(注1)し,或いは所従を放券(注2)して,活命の計に充つるの間,禁制せらるれば還って人の愁歎たるべきにより,この沙汰なし。今世間本復の後,(中略)早くこれを停止せしむべし。
(『新編追加』)
- (注1)沽却:売却すること。
- (注2)放券:売却・譲与すること。
史料2
今年世上飢饉,百姓多く以て餓死せんと欲す。(中略)出挙米(注3)を施し,その飢えを救うべきの由,倉廩(注4)を有するの輩に仰せ聞かさる。
(『吾妻鏡』)
- (注3)出挙米:利息付きで貸与された米。
- (注4)倉廩:米や穀物類を納めておく倉。
- 幕府は,飢饉時においては人々の救命のために人身売買を容認していた。
- 幕府は,飢饉時においても乱れた世相を正すために人身売買を禁止した。
- 幕府は,飢饉に苦しむ人々を救済するため,米を貸し与えるように,富裕な者たちに命じた。
- 幕府は,飢饉に苦しむ人々を救済するため,幕府の倉に備蓄してある米を施し与えた。
問3 下線部ⓑに関連して,公武による様々な時期の法や制度の運用の仕方に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- 臨機応変に出される綸旨が政権の決定文書として多用され,混乱や不満が広がった。
- 異国警固番役が始まり,以前は対象外であった非御家人も軍事動員された。
- 一条兼良は,幕府の裁判制度に対する意見などを書物にまとめ,将軍に与えた。
- ノリオ
- 中世の庶民たちは,自分たちのことをそれほど詳しく文字で記録しているわけではないよね。
- セイコ
- その点で,史料3は中世の村の様子を荘園領主が詳しく記録していたもので,とても貴重だよ。
- ノリオ
- 史料1や史料2にもあったけど,飢饉が多かったことが分かるね。
- セイコ
- 村人の食糧を確保するのも困難な時代だったんだね。たびたび起こる飢饉の中で,村人たちはどうやって生き延びていたのかな。
- ノリオ
- ⓒ中世の厳しい社会のなかで育まれた文化や生業に目を配ることも,中世の法を理解する上では重要だよね。
問4 次の史料3は,荘園領主の九条政基が,和泉国日根野荘の現地に下向して直接経営にあたった時の日記の一部である。史料3について述べた文として正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料3
地下より申して云く,「去年,不熟(注1)の故,御百姓等,繁多餓死し了んぬ。よって蕨を掘りて存命せしむるのところ,件の蕨,(中略)去る夜,盗み取る者あり。追い懸くるのところ,(中略)母も子も三人とも,もって殺害し了んぬ。盗人の故也」と云々。(中略)地下沙汰の次第,証人一人も生かし置かず,母まで殺害するは,甚だ乱吹(注2)か。但し悪行の儀は,連々風聞(注3)の条,地下沙汰人すでにかくの如き沙汰の由,注進(注4)の上は,無人の時分(注5)是非に及ばず。盗人たるにおいては,これまた自業の致す所也。南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏。
(『政基公旅引付』文亀4(1504)年2月16日条)
- (注1)不熟:作物の出来が悪いこと。
- (注2)乱吹:乱暴。
- (注3)風聞:噂。
- (注4)注進:報告すること。
- (注5)無人の時分:ここでは「犯人や関係者がすべて殺害されてしまった今となっては」という意味。
問5 下線部ⓒに関連して,中世の文化や生業について述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 12世紀末の「養和の飢饉」など災害のあり様を描いた随筆で,人の世の無常を説いた。
- Y 悪条件でも育つ多収穫の作物で,中世に普及した輸入品種として知られている。
- 方丈記
- 平家物語
- 大唐米
- 荏胡麻
解説・コメント
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第4問
高校生のメイさんは,江戸時代における戦乱や災害の問題に関心を持ち,疑問点を書き出したメモを作成し,自分で調べて考えてみることにした。次のメモを参照して,後の問い(問1~5)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 16)
メモ
- 疑問1 戦乱が人々にどのような影響を与えたか。
- 疑問2 火災が人々にどのような影響を与えたか。
- 疑問3 火山の噴火が人々にどのような影響を与えたか。
- 疑問4 地震が人々にどのような影響を与えたか。
- 疑問5 人々はどのように困難や危機を乗り越えようとしたか。
問1 メイさんは疑問1について,江戸時代における戦乱の歴史を調べた。江戸時代の戦乱に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 大坂の陣(大坂の役)の後,戊辰戦争に至るまで,幕府や藩による軍事動員が行われたことはなかった。
- Y 大坂の陣(大坂の役)の後,戊辰戦争に至るまで,外国から攻撃されることはなかった。
問2 メイさんが疑問2について調べてみると,江戸などの大都市では,明暦の大火をはじめ,大きな火災が何度もあったことが分かった。明暦の大火が発生した時の将軍によって行われた政策について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問3 メイさんは疑問3について学習を進め,1707年に富士山が噴火し,火山灰などによる深刻な被害が発生したことを知った。次の史料1・2は,富士山噴火について記したものである。史料1・2に関して述べた後の文a~dについて,最も適当なものの組合せを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料1 1708年閏正月「覚」
近年御入用の品々(注1)これ有る処,去る冬,武州・相州・駿州(注2)三ヶ国の内,砂(注3)積り候村々御救い旁(注4)の儀に付,今度,諸国高役金御料・私領(注5)共に高百石に付,金二両宛の積り,在々(注6)より取り立て上納有るべく候。且又,領知遠近これ有る故,在々より取り立て候迄は延々(注7)たるべく候間,一万石以上の分は領主より取り替え候て,当三月を限り江戸御金蔵へ上納有るべく候。
(『御触書寛保集成』)
- (注1)御入用の品々:幕府が必要とする品々。
- (注2)武州・相州・駿州:武蔵国・相模国・駿河国のこと。
- (注3)砂:火山灰のこと。
- (注4)御救い旁:救済もあって。
- (注5)御料・私領:御料は幕府直轄領のこと。私領は大名や旗本の所領のこと。
- (注6)在々:村々のこと。
- (注7)延々:はかどらないこと。
史料2
今重秀(注8)が議り申す所は,(中略)只今,御蔵にある所の金,わずかに三十七万両にすぎず。此内,二十四万両は,去年の春,武・相・駿三州の地の灰砂を除くべき役を諸国に課せて,凡そ百石の地より金二両を徴れしところ,凡そ四十万両の内,十六万両をもって其用に充られ,其余分をば城北の御所(注9)造らるべき料に残し置かれし所也。これより外に,国用に充らるべきものはあらず(後略)。
(『折たく柴の記』)
- (注8)重秀:勘定奉行荻原重秀のこと。
- (注9)城北の御所:江戸城に建設予定の御殿のこと。
- 史料1によると,諸国高役金は,できるだけ早く金を集めるために,大名による立て替えが行われた。
- 史料2によると,集められた諸国高役金はわずかなものであり,灰砂を除く費用に充てるべき金40万両の半分にも満たなかった。
- 史料1を踏まえ,史料2を読むと,諸国から各国の人口に応じて集めた金を被災地の救済費用に充てたと勘定奉行が述べたことが分かる。
- 史料1を踏まえ,史料2を読むと,諸国から集めた金の一部を江戸城の御殿造営費として残したと勘定奉行が述べたことが分かる。
問4 メイさんは疑問4について調べ,1854年に発生した東海地震の後に,ロシアの軍艦ディアナ号が沈没すると,日本人船大工らも加わり新しく船が建造されたことを知った。このことに関連して,江戸時代の日本人と外国人との関係について述べた文として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問5 メイさんは江戸時代の災害を知って,自然の前には人間はなんと無力なのかと心を痛めた。しかし,疑問5の検討を通じて,江戸時代には学問の力によって困難や危機を乗り越えようとする人がいたことを知り,勇気づけられた。江戸時代の学術や農業について説明した次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,後の①~⑥のうちから一つ選べ。
- 荒廃した農村を復興させるため,二宮尊徳が報徳仕法を実践した。
- 凶作時の食用に備えて,蘭学者でもある青木昆陽が甘藷の普及を図った。
- 農産物の増産等を目指して,農学者の宮崎安貞が『農業全書』を著した。
解説・コメント
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問題文正答率:50.00%
第5問
次の文章は,幕末維新期に活躍をした人物たちについて関心のあるアカネさんとタケルさんとの会話である。この文章を読み,後の問い(問1~4)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 12)
- アカネ
- 歴史を題材にしたドラマや小説の中でも,ⓐ幕末維新期に活躍した人物を主人公にしたものは,人気があるよね。
- タケル
- そうだね。例えば,土佐藩出身の坂本龍馬は,歴史ドラマなどでもよく取り上げられる人気の人物だよね。
- アカネ
- だけど,龍馬は1867(慶応3)年11月に暗殺されていて,その後の明治維新の歴史に関わっていないよ。なのに,なぜ人気が高いのかな。
- タケル
- 龍馬と言えば,薩摩藩と長州藩との同盟を仲介したことが有名だけど,その外にも,海援隊という組織を率いて,海運やⓑ貿易の事業にも携わったと言われているよ。
- アカネ
- なるほど,政治や経済など,様々な分野で活躍をした人物だったと言えそうだね。
- タケル
- 龍馬の活躍と言えば,1867年6月に作成された「ⓒ船中八策」も,後の明治日本の国家構想につながったと言われているよね。
- アカネ
- その「船中八策」だけど,この史料については当時の原本が確認されていないこともあり,歴史学でも議論が続いているようだよ。
- タケル
- それは,とても興味深いね。龍馬に関する研究で言えば,1883年に連載が始まった龍馬を主人公とする小説「汗血千里の駒」は,龍馬を通じて,高知の自由民権運動をアピールしようとしたⓓ政治小説というジャンルだと説明する本を読んだことがあるよ。
- アカネ
- そうなんだ。その小説の事例のように,歴史を題材にしたドラマや小説などの作品は,後の時代の価値観が反映されている場合が少なくない,ということに留意して鑑賞したほうが良さそうだね。
問1 下線部ⓐに関連して,幕末維新期に活躍した人物やその人物が行った事柄について述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 司法の整備に尽力した江藤新平はこの乱の首謀者となったが,乱の鎮圧後,処刑された。
- Y この人物は,初代文部大臣として,いわゆる学校令の制定に携わり,学校体系の整備に努めた。
- 佐賀の乱
- 萩の乱
- 森有礼
- 加藤弘之
問2 下線部ⓑに関連して,幕末から明治期までの日本の貿易に関して説明した次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,後の①~⑥のうちから一つ選べ。
- アメリカをはじめ,欧米の5か国との間で,日本の関税自主権の欠如などを内容とする条約が締結された。
- 諸外国との間で輸出が増大したことに対応し,生糸・雑穀・水油などの横浜港直送を禁じる法令が発せられた。
- 朝鮮との間で,釜山など3港の開港を定めるとともに,日本の領事裁判権を一方的に認めさせる条約が締結された。
問3 下線部ⓒに関して,次の史料は「船中八策」であり,後のメモは,アカネさんとタケルさんが,この史料について気になった点をまとめたものである。この史料及びメモについて述べた後の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料
- 一,天下の政権を朝廷に奉還せしめ,政令宜しく朝廷より出ずべき事。
- 一,上下議政局を設け,議員を置きて万機を参賛せしめ,万機宜しく公議に決すべき事。
- 一,有材の公卿諸侯及び天下の人材を顧問に備え,官爵を賜い,宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
- 一,外国の交際広く公議を採り,新に至当の規約を立つべき事。
- 一,古来の律令を折衷し,新に無窮の大典を選定すべき事。
- 一,海軍宜しく拡張すべき事。
- 一,御親兵を置き,帝都を守衛せしむべき事。
- 一,金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
(『坂本龍馬全集』)
メモ
- 「船中八策」は1867年6月9日作成とされるが,その時に作成された原本は確認されておらず,坂本龍馬に同行していた海援隊書記の長岡謙吉が記した日誌にも,「船中八策」に関する記載はない。
- 1883年に『土陽新聞』紙上で連載が始まった坂崎紫瀾の小説「汗血千里の駒」では,「船中八策」の存在について触れていない。
- 1896年に弘松宣枝が著した坂本龍馬の伝記『阪本龍馬』(注)では,「船中八策」に文言も内容もよく似た文章が初めて紹介されたが,条文の数や細かい文章表現は,上の史料と異なる部分がある。
(注)『阪本龍馬』:表記は原典通り。
- X 史料では,議会の設置や法典の整備が求められており,実際に明治新政府は,政体書によって将来的な議会設置と立憲政体確立とを宣言した。
- Y メモからは,「船中八策」は1867年6月の時点で作成されておらず,龍馬の死後に,龍馬の史料として作成された可能性がうかがえる。
問4 下線部ⓓに関連して,明治期の文学について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
解説・コメント
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問題文正答率:50.00%
第6問
日本史の授業で,アキコさん,ナオトさん,フミエさんの班は,近現代における日本と世界の関係についてまとめることになった。それぞれの発表A~Cを読み,後の問い(問1~7)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 22)
A アキコさんの発表
私は,1915年に行われた中国政府への二十一か条の要求が重要だと考えました。この要求以後,日本外交は中国及び列強との間で深刻な対立を抱えることになったのではないかと考えています。ⓐ二十一か条の要求を受けて,中国では日本への反感が強まり,反日運動が起きました。日本でもⓑ1910~20年代は,それまでの時代に比べて,大衆の力が大きくなった時代です。大衆運動が外交に与えた影響について,さらに調べていきたいと思います。
問1 アキコさんは,下線部ⓐに関して,吉野作造が書いた次の史料を紹介した。この史料に関して述べた後の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
史料
- 予一己の考では,仮に我国が第五項の要求事項を削らなかつたとしても,英国は別段八釜しい異議は唱へなかつたらうと思ふ。(中略)之等の点を合はせ考ふると,英国が多少の譲歩を日本に致すといふことは,決して望み得ないことではない。
- 予は今度の対支要求は,皮相的に見れば,或は支那(注)の主権を侵害し,或は支那の面目を潰したやうな点もあるが,帝国の立場から見れば,大体に於て最小限度の要求である。
(『日支交渉論』)
(注)支那:当時用いられた中国の呼称。
- X 吉野作造は「今度の対支要求」に否定的ではない。
- Y 吉野作造はイギリスの日本に対する不信感が高まることを心配している。
問2 下線部ⓑに関連して,1910~20年代の日本の大衆文化について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
B ナオトさんの発表
私は,日本が1940年9月27日に調印した日独伊三国同盟が重要だと思いました。この同盟では,ドイツ,イタリア両国のヨーロッパにおける指導的地位と,日本の東アジアにおける指導的地位を,3か国が相互に認め合いました。この同盟が調印された当時は,ⓒ国際情勢がめまぐるしく変化していました。また,これにⓓ対抗する勢力も様々な対応を取りました。とりわけソ連の動向をおさえた上で,さらに探究していきたいと思います。
問3 下線部ⓒに関連して,次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから正しく配列したものを,後の①~⑥のうちから一つ選べ。
- 日本は,極東ソ連領の占領計画を立てて関東軍特種演習(関特演)を実施したが,計画そのものは中止された。
- 日本は,日米交渉に際して中国・仏印からの撤退を盛り込んだハル=ノート(ハル・ノート)を提示された。
- 日本は,関係が悪化していたアメリカを牽制するねらいもあって,日ソ中立条約を締結した。
問4 下線部ⓓについて,対抗する勢力が開いた会談の詳細を示した次の文X・Yと,その場所を示した後の地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- X 1943年にアメリカ・イギリス・中国が,日本が無条件降伏するまで戦うことを宣言した。
- Y 1945年7月にアメリカ・イギリス・ソ連の三国首脳が会談した。
C フミエさんの発表
私は,戦後日本が独立した後の1956年に調印された日ソ共同宣言について発表します。この宣言で,日本とソ連の戦争状態が正式に終了しました。日ソ共同宣言は,ア点で重要だと思います。当時の内閣は,占領が終了した後の日本の針路を模索していました。
一方で,個人に注目すると,ⓔ占領期に世界的に評価された日本人も登場しました。世界と日本の動向に注目しながら,これからさらに勉強していきたいと考えています。
問5 空欄アに入る文として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問6 下線部ⓔに関連して,占領期に世界的に評価された日本人に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,後の①~④のうちから一つ選べ。
- 湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した。
- 大江健三郎がノーベル文学賞を受賞した。
- 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』がベルリン国際映画祭でグランプリ(最優秀作品賞)を受賞した。
- 黒澤(黒沢)明の『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭(ベネチア映画祭)でグランプリ(最高作品賞)を受賞した。
問7 3人は発表内容をもとに意見を交換した。その結果,近現代の日本と世界とのつながりを,対外関係に注目して調べ直した。近現代の対外関係について述べた文として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
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