大学入学共通テスト日本史A 過去問 令和3年度1月16日・17日(解説なし)
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問題文正答率:33.33%
第1問
次の文章A・Bは,2020年の夏,東京に暮らす花園カオルさん(17歳)が祖父の家を訪れた際の会話と,後に祖父に書き送った手紙である。これらの文章を読んで,下の問い(問1~7)に答えよ。(資料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 22)
A- 祖 父
- (古い箱を開けながら)よいしょっと。これが我が家の家系図だ。
- カオル
- わぁ……見たことのない名前がたくさん……。あれ,おじいちゃんは8人きょうだいの上から5番目? 5人きょうだいの3番目ではなかった?
- 祖 父
- 一番上の姉は結核で,末の妹は生まれてまもなく栄養失調で死んだよ。一番上の兄貴は戦争から帰ってこなかった。
- カオル
- そういえば,仏間に並んだご先祖の写真の中に,軍服姿の若者が混じっているのが気になっていたけれど,その人だったのか。
- 祖 父
- ほら,この箱には,兄貴が学生服を着て家族と写った写真もあるよ。兄貴の右にいるア姿の人が母親,つまりカオルのひいばあちゃんだ。
- カオル
- へえぇ,そうなのかぁ。アは,日中戦争が始まってしばらくすると禁止になるんだったよね。戦争は,外見にも影響を与えるんだね。
- 祖 父
- よく知っているね。戦争中,男に対しては,イ。
- カオル
- あれっ,ひいばあちゃんのおなかにいるのは……えぇっと,おじいちゃん?
- 祖 父
- そうなるかな。それにしても,子どもは次々生まれるし,かたや続いて死ぬし,食べ物はないし,戦争中のひいばあちゃんは大変だったと思うよ。
- カオル
- それで50歳で亡くなる。うーん,そういう人生もあるんだなあ。ご先祖たちについてもう一度,頭を整理してみるよ。それと,家系図や写真以外 にもいろいろ入っていそうなこの箱,ゆっくり見たいし,箱ごと持って帰っていい?
問1 空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 東京に戻ったカオルさんは,一家の生きた時代を理解しようと,自分で作成した上記の家系図と教科書を見比べた。この家系図に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 日露戦争に出征した人はこの中にはいない。
- Y 曽祖母(ウメノ)が選挙権を有した時期はない。
問3 前ページの家系図において二重線(=)で示された婚姻関係について述べた次の文X・Yの空欄ウエに入る語句の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 曽祖父母の婚姻は,ウの下で行われた。
- Y 祖父母の婚姻は,法的にはエの合意に基づいて行われた。
問4 カオルさんは,それぞれの生没年を確認するうちに,曽祖母(ウメノ)が生まれた1899年から,政府が近代的な人口動態統計を取り始めたと知った。そこで,以後100年の移り変わりを分析した文献からメモを取り,関連のグラフを作成してみた。このメモを読み,次ページのグラフのa~dが示すものとして正しい組合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。
カオルさんが作成したメモ
- 明治から大正にかけての乳児死亡率は150~180台で推移していたが,1940年には二桁台まで低下した。
- 婚姻率は,敗戦直後に最高を記録し,1988年からは一時,上昇傾向を見せた。
- 「第1次ベビー・ブーム」期に生まれた「団塊の世代」が子どもを生み始めた1973年前後には,「第2次ベビー・ブーム」が出現した。
- 敗戦後,死亡数は減少したが,1980年頃から増加した。
- (注1)1944~46年は資料不備のためデータなし。
- (注2)乳児死亡とは生後1年未満の死亡をいう。
- (注3)乳児死亡率=乳児死亡数÷出生数。婚姻率=婚姻届出件数÷日本人人口。それぞれ1,000倍,10,000倍に換算した比率で示した。
問5 カオルさんが持ち帰った箱には,帝国大学,尋常小学校,高等女学校,中学校の卒業証書が入っていた。いずれも花園家の人々が授与された証書であった。それらに関連して,近現代の教育制度に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- 帝国大学は当初,国家の指導的な人材養成のために創設された。
- 尋常小学校では創設時から一貫して検定制の教科書が使用された。
- 高等女学校の証書に名が記された曽祖母(ウメノ)は,中学校を卒業し高等女学校に進学した。
- 祖父(竹次)の名が記された証書における中学校とは,学校教育法のもとに発足した新制の中学校である。
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おじいちゃん
この間は,気軽に「箱ごと持って帰る」と言ってしまってごめんなさい。
おじいちゃんのお兄さんが戦地から送った手紙もありました。お兄さんが亡くなった頃の新聞を見たり,戦争で死んだ若者の手記や手紙を図書館で読んだりしてみました。ⓐ新聞では,空襲の被害実態は具体的に示されていないし,何だか日本が勝っているみたいな報道だね。ほかの本を読むと,新聞に書いてあるから本当というわけではないし,書いていないことも多いとわかりました。きっとお兄さんも,手紙に書けなかったことや書かなかったことがあっただろうなあ。
カオル
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問6 次の史料は,カオルさんが閲覧した新聞である。下線部ⓐも踏まえ,この記事の内容について述べた文として正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- (注1)邀撃:迎え撃つこと。
- (注2)支那:当時用いられた中国の呼称。
問7 次の文Ⅰ~Ⅲは,カオルさんが図書館で読んだ手記や手紙の一部である。書かれた出来事の古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。なお,いずれも( )内は手記や手紙の日付である。
- 日比谷公会堂なる国民大会に小磯首相の声をきかんと昼食を略してゆきたるに,はや堂にあふれた群衆が立ちならび,マイクにてきくとのこと。(10月20日)
- 父母上様,去る六日の原子爆弾は非常に威力のあるものでした。自分はそのために顔面,背中,左腕を火傷致しました。(8月25日)
- イタリア無条件降伏の報を知る。九月三日に既に調印されていたのである。世界史の現断面深く想う。イタリアは降伏した。独ソ戦線は依然苛烈である。(9月9日)
(日本戦没学生記念会編『新版 きけ わだつみのこえ』)
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第2問
女性解放運動の先駆者として知られる景山英子(後に福田英子)に関する次の文章を読み,下の問い(問1~4)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 12)
景山英子は,1865年に岡山藩のⓐ下級武士の家に生まれた。生活の苦しかった景山家では家計のために寺子屋を開いていた。英子も幼い頃から学問に励み,小学校卒業後は小学校や私塾の教師をつとめた。自由民権運動に参加するなか,岡山に遊説に来た岸田俊子の影響を受け,数え年20歳の時に上京した。しかし,アを企てた大阪事件に関与して,逮捕,投獄された。
出獄後には,1901年にⓑ角筈女子工芸学校を設立したり,1904年に自伝『妾の半生涯』を刊行したりした。その後,イの活動に参加することで社会主義に近づくと,1907年には雑誌『世界婦人』を創刊し,国際的な視野から「婦人解放」を訴えた。「発刊の辞」で英子は,「ⓒ現在社会の状態を見れば,ほとんど一切の事情は,みな婦人の天性を迫害し圧塞(注)するのであります。されば,勢いここに婦人自身の社会運動が起こらねばなりません」と述べている。この雑誌は激しい弾圧もあり2年半で廃刊となった。英子は1927年に死去した。
(注)圧塞:圧迫のこと。
問1 空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 下線部ⓐに関連して,幕末維新期の武士について述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 下級武士出身のこの人物が藩政の主導権を握った薩摩藩は,幕府批判の姿勢を強め,長州藩との間で同盟を結んだ。
- Y 旧幕府軍の武士などを率いた榎本武揚が,この地で新政府軍に降伏した。
- a 西郷隆盛
- b 木戸孝允
- c 新潟
- d 箱館
問3 下線部ⓑの学校を新たに設立した理由について,英子は次の史料のように記している。この史料の内容及び時代背景に関して述べた次ページの文a~dについて,最も適当なものの組合せを,次ページの①~④のうちから一つ選べ。
史料
現時一般女学校の有様を見るに,その学科はいたずらに高尚に走り,そのいわゆる工芸科(注1)なるものも,また優美を旨とし(中略)実際生計の助けとなるものあらず,以て権門勢家の令閨(注2)となる者を養うべきも,中流以下の家政を取るの賢婦人を出すに足らず。(中略)妾(注3)らのひそかに憂慮措くあたわざる所以なり。
(『妾の半生涯』)
- (注1)工芸科:ここでは,主に刺繍や裁縫の技術を教える学科のこと。
- (注2)権門勢家の令閨:権力や勢力のある家の妻の尊称。令夫人。
- (注3)妾:女性の自称のへりくだった言い方。わらわ。
- 史料によれば,英子は新設の学校で,女性に優美な技術を教えたかったと考えられる。
- 史料によれば,英子は新設の学校で,女性に生計の助けになる技術を教えたかったと考えられる。
- この学校が設立された後で,教育勅語が出され忠君愛国の精神が強調された。
- この学校が設立された後で,義務教育の期間が4年から6年に延長された。
問4 下線部ⓒの文章が書かれた時期の社会に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 女性解放を唱える新婦人協会が活動していた。
- Y 女性が政治集会に参加することは禁止されていた。
解説・コメント
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第3問
海外留学を希望するKさんは,外国での経験を糧とした人物に興味を覚え,図書館で調べてみた。Kさんが国内政治や外交の歴史と関係させながらまとめた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~7)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 22)
A開国後,幕府は日本人の海外渡航の禁を解き,明治新政府はアによって,「智識を世界に求め」る基本姿勢を明らかにした。西洋への留学も奨励され,以後,ⓐ多くの青年が海の向こうに学びの場を求めた。
日本で最初に内閣を組織した伊藤博文も幕末に留学経験を持ち,1880年代の海外調査を経て,主にイの憲法を参考とする大日本帝国憲法制定の中心となった。帝国議会開設当初,対立的であった政府と議会との関係は,日清戦争など対外緊張と向き合うなかで変化し,議会を基盤とする政党内閣も生まれた。伊藤自身も政党を組織し,日露戦争時には,フランス留学が長かった西園寺公望がこれを引き継いだ。
西園寺は,官僚や貴族院の支持を受けた陸軍出身の桂太郎と交互に政権を組織し,ⓑ戦後経営を担った。桂もドイツに留学した経験があり,軍制改革で頭角を現した人物である。第3次桂内閣は大衆の批判の高まりを受けて倒れたが,桂も新党結成を計画していた。イギリスで学び外交官から政党政治家となった加藤高明がこれを引き継ぐことで,政党政治が準備されていった。
問1 空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 下線部ⓐに関連して,次の人物はいずれも海外経験を有する。それぞれの人物について述べた文として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問3 下線部ⓑに関連して,日清戦争後から第一次世界大戦勃発までの時期に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 日産・日窒などの新興財閥が,急成長した。
- Y 日本は日露戦争に勝利した後,軍備を縮小した。
1914年にⓒ第一次世界大戦が勃発し,外相をつとめていた加藤高明は日本の参戦を主導した。戦争が長期化するなか,ヨーロッパで学んだ吉野作造は民本主義を唱える論文で政党政治を支持する世論を高めた。こうした世論を背景に政党政治家の原敬が政権を担った。原は留学経験をもたないが,苦学してフランス語を学び,外交官を経て政界に転じた人物である。
1919年のパリ講和会議には,フランス通の西園寺公望が派遣された。この会議の結果を受けて,天皇の名前により国の方針として,“ウ”という内容を含む詔勅が出された。
問4 空欄ウに入る内容として最も適当なものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問5 下線部ⓒに関連して,第一次世界大戦の勃発から1920年代までの出来事に関して述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 原敬内閣は選挙に関する改革を行い,この制度を導入した。
- Y 労働者や農民の立場に立つプロレタリア文学が盛んになり,担い手の一人であるこの人物は,『太陽のない街』を書いた。
- 比例代表制
- 小選挙区制
- 徳永直
- 武者小路実篤
明治初めに留学し鉱山学を学んだ団琢磨は,1914年に三井合名会社理事長となった。団は財界人として,実業家の訪問団を率いて欧米を巡遊するなど,国際協調を支える努力を続けた。一方,明治の末から日米両国で活躍したジャーナリストの馬場恒吾は,特派員としてパリ講和会議についても報道し,労働運動にも理解を示した。
団も馬場も,ⓓ議会制度の改革や政党政治の動向に少なからぬ関心を寄せた。しかし団はⓔ世界恐慌の深刻な影響下で暗殺され,馬場は軍部の力が強まるなか で,事実上の執筆禁止状態に追い込まれていった。
問6 下線部ⓓに関連して,衆議院に無産政党の議員が誕生した年に書かれた馬場恒吾『議会制度改革論』(史料)を読み,空欄エオに入る語句の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
史料
議会を如何に改革すべきか。制度としては衆議院は已にエに迄到達した。此上に尚選挙有権者の年齢低下,婦人参政権の問題が残るけれども,衆議院を改革する中心の問題は寧ろ其運用の方法にある。(中略)之に反してオは制度の改革を必要とする。(中略)オは華族の支配する所となっている。議会は国民の衆智を集めるを以て目的とする。華族は大抵祖先の功労に依って華族となったもので,現在の華族が必ずしも国民の智恵の代表者とは云えない。
問7 下線部ⓔにより,多方面で第一次世界大戦後の秩序が揺らいだ。この時期の世界の動きを述べた次の文X・Yと,それぞれに関係する日本の動きa~dとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
世界の動き
- X ブロック経済圏が形成された。
- Y ヒトラー政権が誕生し,一党独裁体制が敷かれた。
日本の動き
- 管理通貨制度に移行し,円安を利用した輸出が伸びた。
- 工部省を設置して,産業振興に努めた。
- 日ソ基本条約を結んだ。
- 日独伊三国防共協定を結んだ。
解説・コメント
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問題文正答率:33.33%
第4問
Hさんの高校の授業では,「第二次世界大戦後の民主化政策」について,戦前からの流れやその後への影響を含めて発表することになった。Hさんたちの班は,農地改革をテーマに選び,図書館で文献を調べ,次の発表用スライド1~3を作成中である。このスライド1~3を読み,下の問い(問1~7)に答えよ。(配点 22)
スライド1
1.農地改革の歴史的背景(戦前期)
1―1 ⓐ寄生地主制の形成(明治期)
・大地主は自ら耕作せず,農地を小作人に貸し付ける(地主経営)
→大地主は小作料収入を土地や株式などに投資
1―2 寄生地主制のア(1920年代~1930年代前半)
・1920年代の慢性的な不況
→農産物価格の低下
・ⓑ日本農民組合の結成→小作料や耕作権をめぐって,小作争議が活発化
1―3 まとめ
1920年代に小作人の権利意識が高まり,小作争議を通じて,小作人の地位向上はある程度実現した。これによって,明治期に形成された大地主と小作人との関係が,大正期以降に変化していったことが分かった。
問1 下線部ⓐに関連して,明治期の大地主と小作人に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 大地主は一般に,小作料を現金で受け取っていた。
- Y 小作人の中には,子どもたちを工場などへ働きに出す者がいた。
問2 下線部ⓑに関連して,1920年代に活動した組織として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問3 空欄アに入る語句X・Yと,その語句が入る理由a・bとの組合せとして最も適当なものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
語句
- X 発展
- Y 動揺
理由
- 小作料の引上げが実現した。
- 小作料の引下げを求める動きが広まった。
スライド2
2.農地改革の歴史的背景(戦時期)
2―1 総力戦と食糧増産
・労働力や肥料の不足などにより食糧不足が深刻化
→総力戦遂行のため,食糧の安定供給が必要になる
2―2 農業統制の展開
- 小作料統制令の施行(1939年)…小作料の引上げを禁止する
- ⓒ米の供出制度の開始(1940年)…政府が耕作者から直接買い上げる
- 食糧管理法の制定(1942年)…公定価格以外の食糧取引を禁止する
- 農地審議会で自作農創設の促進を決定(1943年)
*これらの点から,戦時期ではイが採られたと考えられる
2―3 まとめ
戦時期には,政府が主要食糧の生産・流通・消費を管理した。また,自作農創設に向けた動きも一部でみられた。戦時期の食糧・農地に関する政策は,戦後の農地改革に引き継がれる部分もあったが,寄生地主制の強制的な解体を目指すものではなかった。なお,食糧管理制度は戦後も続いたが,その目的は変化していった。
問4 下線部ⓒに関連して,戦時下の物資の統制に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 砂糖・マッチなどの消費を制限する切符制が開始された。
- Y 国家総動員法にもとづき,価格等統制令が出された。
問5 空欄イに入る政策X・Yと,その政策の目的a・bとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
政策
- X 小作人(耕作者)を優遇する政策
- Y 地主を優遇する政策
目的
- 寄生地主制を強化するため。
- 地主を優遇する政策
スライド3
3.農地改革の過程と実績
3―1 GHQ の目標 … 軍国主義の温床の除去
・寄生地主制の除去による安定した自作農経営の創出
3―2 農地改革の過程
・政府主導の第一次農地改革案の決定(1945年)
・GHQの勧告にもとづく第二次農地改革の開始(1946年)
→国が公定価格で農地を買収し,小作人に売り渡す(1947~50年)
3―3 農地改革の実績
・総農地に占める小作地面積の変化
45.9%(1945年11月) ⇒ 9.9%(1950年8月)
→農家の大部分が自作農になった
問6 スライド3を参考にしながら,農地改革の過程と実績に関して述べた文として誤っているものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問7 この学習のまとめとして,Hさんたちは戦後の農業の展開を整理している。その内容に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- 米の生産調整のため,減反政策が開始された。
- 米の輸入量を減らすため,減反政策が開始された。
- 農業の経営の改善を図るため,農業基本法が制定された。
- 自作農を創設するため,農業基本法が制定された。
解説・コメント
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問題文正答率:33.33%
第5問
高校生のユウキさんは,欠席した日本史の授業のプリント2枚(年表・史料)を,ノゾミさんから渡され,授業の内容について話を聞いた。年表と会話文を読んで,以下の問い(問1~7)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 22)
- ユウキ
- 福祉の歴史についてだったんだね。年表の空欄アには,何が入るの?
- ノゾミ
- 警察・衛生などを担った省の名前が入るよ。年表のAの時期には省内に社会局を設置して,貧困問題などにも本格的に取り組んだんだって。
- ユウキ
- この1874年の規則は何?
- ノゾミ
- それは「じゅっきゅうきそく」といって貧困者を救う規則だよ。
- ユウキ
- そんなに早くに貧困者救済の規則が作られてたんだ。
- ノゾミ
- うーん,でも,Aの時期にできた救護法は国や道府県や市町村の公的扶助義務を認めたものとされているけど,ⓑ恤救規則は,貧困者への公的扶助義務を認めたものではないと解釈されているんだって。
- ユウキ
- へえ。ⓒAの時期には,いろいろなことが変わったんだね。
- ノゾミ
- そうだね。もう一つ大事なのは,軍隊との関わりなんだ。
- ユウキ
- たしかに軍人恩給法や軍事扶助法などは,兵役と関係がありそうだね。
- ノゾミ
- そう。それに,空欄イとの全面戦争も大きな転機だったんだ。Bの時期に,厚生省ができたんだって。この省が医療保険や社会保障を担い,国民健康保険制度などが急速に整えられたんだよ。ⓓもう1枚のプリントの史料は,その理由を考える材料だよ。その時の厚生大臣が制度の重要性を述べたものなんだってさ。国民健康保険制度が整えられたのは,ウ。
- ユウキ
- 健康保険はCの時期だと思ってた。そうやってできた国民健康保険の制度が現在まで続いているのは,なんだか不思議だね。ⓔBの時期に起きた変化も意外と大きかったんだなあ。その次のCの時期に生じた変化も年表にはたくさん書いてあるね。
- ノゾミ
- そうだね。その国民健康保険法は,Cの時期に新しくなってるね。ABCそれぞれの時期にいろんな制度ができているよね。ⓕいくつもの時期の変化が重なって,現在につながっているんじゃないかな。
問1 年表の空欄アイに入る語句の組合せとして正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問2 年表の下線部ⓐが制定された背景を述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 労働者が低賃金や長時間の労働を強いられていたことが問題になった。
- Y 労働者の地位向上を目的に結成された日本労働総同盟が全国的組織に発展した。
問3 次の①~④は,年表にある恤救規則・救護法・日本国憲法・生活保護法(1950年の全面改正後)のいずれかの一部(要旨)である。下線部ⓑの解釈を参考に,恤救規則の一部(要旨)として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
問4 下線部ⓒに関連して,年表のAの時期の生活文化にかかわる変化に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- 娯楽の分野では,ラジオ放送が開始された。
- 娯楽の分野では,テレビ放送が開始された。
- 出版の分野では,中村正直らによって西洋思想の訳本が出された。
- 出版の分野では,「円本」と呼ばれる1冊1円の本が誕生した。
問5 次の史料は下線部ⓓで言及された史料である。この史料を読んで,会話文の空欄ウに入る文として最も適当なものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
史料
小泉親彦(注1)「健民と国民健康保険」
明日の決戦に備えつつ,太き長き決戦の連続に勝ち抜きます為には,身体が丈夫で頭脳明晰であり肚もあり(注2),皇国日本にしっかり足を踏みしめた質実剛健な国民,即,健民を急速に,然も多数育成することが刻下(注3)喫緊の要務であります。蓋し(注4)斯る健民こそ,内に在っては今日国家の絶対要請たる生産戦(注5)に勝ち抜き,外に出でては健兵となって,徹底的に敵をたたきのめすことが出来るからであります。
(『国民健康保険』1942年12月)
- (注1)小泉親彦:当時の厚生大臣。
- (注2)肚もあり:度量が大きい。
- (注3)刻下:目下。現在。
- (注4)蓋し:思うに。
- (注5)生産戦:生産を増強することを,戦争に例えた表現。
問6 下線部ⓔについて述べた次の文X・Yと,それに該当する出来事a~dとの組合せとして正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。
- X 年表のBの時期に,学問・思想に対する統制が強まった。
- Y 年表のCの時期に,憲法によって学問・思想の自由が保障された。
- 人民戦線事件
- 三・一五事件
- 日本学術会議の発足
- 内閣情報局(情報局)の設置
問7 下線部ⓕの発言をきっかけに,ユウキさんとノゾミさんは,男女平等に関して,敗戦から現在にかけてどのような変化があるか,調べてみることにした。
次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①~⑥のうちから一つ選べ。
- 男女共同参画社会基本法が制定された。
- 男女共学の原則を規定した教育基本法が制定された。
- 男女の職場での平等を推進する法律が女子差別撤廃条約(女性差別撤廃条約)をうけて制定された。
解説・コメント
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解説・コメント